海外でボランティアをして貧しい人々を助けようと
がんばっているが最近とても大きな悩みに
突き当たっている。
たしかに貧しく困難で苦しんでいる人々に施しをし、
少しでも人並みの生活ができるようにと
手伝い共に生活するわけであるが
いざその貧しかった人が人並みの生活を手に入れると
この世のほとんどの人と同じように金持ちになることが
幸せになることと信じ、物がたくさんあることが幸せと
思うようになる。
実際そう思うことが今の世の中普通なのだから
それで良いではないかと言う人もいるだろうが
私たちボランティアが求めているものは
そういうものではない。
貧しい人々を助けて資本主義的金持ち思考の
仲間入りをさせるのが目的ではなく
少しでも人並みの生活をさせてあげ
小さな幸せを掴んで欲しいと思って施しをするわけである。
私は貧しく苦しい生活をしていたある女性を助け
その家族も助け、人並みの生活を手に入れる助けをした。
彼女や家族の人々はとても私に感謝し
私の活動を助けてくれる協力者の一人となっていたのだが
つい最近将来の方向性の違い、考え方の違いがはっきりして
仲違いしてしまった。
彼女は人並みの生活を手に入れると
これが欲しいあれが欲しいという物欲に目覚め
今まで夢と思って諦めていた物に対する憧れが
今なら手に届くものになったことで一気に浮上したのである。
私は人に施すために質素堅実を理想とし
むやみに物を買うのは良くないことという価値観がある。
その価値観は彼女の今現実となった夢や希望と相反し
へたをすると彼女の家が欲しい車が欲しいといった
普通なら誰もが考える生活の夢を否定してしまうことになる。
この価値観の違いが隔壁となって今現れたのである。
これは他のたくさんのNGOの中でも経験する
深刻な問題ではないだろうか?
この価値観の違いにより
純粋に人助けが目的で始まったNGOはすぐに廃れ
金儲けの術を教える団体が栄える。
こうして資本主義の考え方はさらに広がり
成功した人は金持ちに失敗した人はさらに貧乏になる
社会が広がるわけである。
さて私は本当に貧しい人々を減らす活動をしているので
あろうか?


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